どうも節約・投資担当の「つみたてにいさん(@tsumitate_nisan)」です。
本日も、ブログに遊びにきていただきありがとうございます。
今回はスタジオジブリ最新作「君たちはどう生きるか」の映画の感想と仮説と言うちょっといつも毛色の違う記事になります。
ちなみにイオンの優待を使って観たので優待と完全に無縁という訳ではないのですが、今回は優待や銘柄分析のお話ではなく、好きなスタジオジブリ作品の最新作「君たちはどう生きるか」を観た感想と考察を自分なりに考えてみたといういつも違う風合いの記事内容になりますが楽しんでもらえると嬉しいです((“Q(・ω・*)♪
映画の感想を一言でまとめると
表面上の感想を一言でまとめるとジブリ版「不思議の国のアリス」のような内容でした。
今までのジブリ作品を見た方ならこれはあの作品のオマージュなのでは?といった箇所が随所に盛り込まれており、ジブリ作品に親しみがあればあるほど「隠れミッキー」ならぬ「隠れジブリ作品」のテイストを見つけられる作品になっているなーと感じました。
ちなみにタイトルと同名の小説「君たちはどう生きるか」に関しても、作中に僅かながらに登場していますがあまり相関性はなさそうです。
また唯一事前情報として公開されていたポスターに映る「大きな鳥に目が2対あったこと」に当初から違和感を感じていたのですが、映画を観るとなるほど、だから目が二対付いているのだなーと思いました。でもその目の持ち主があの中身とは文字通りサギですよね(笑)
ジブリに登場する生き物は「キモ可愛い」ものが多いのですが、アオサギは余り可愛くはなかったです。一方のふわふわは可愛い寄りのキャラクターでしたね。
「大叔父=宮崎駿監督」なのではないか?
さて表面的な感想を一言でまとめるとジブリ版「不思議の国のアリス」なのですが、それだけの解釈だと本質的な伝えたい事を見落としているような何か引っかかる感じがあり、もやもやしておりました。
そこで自分なりに今回の映画を観て宮崎駿監督はどういうことを伝えたかったのかということを考えた結果、一番しっくり来たのが作中の「大叔父」は「宮崎駿監督」自身の投影なのではないか?という仮説です。
まずはざっくり「大叔父」視点で今回の作品の展開をなぞってみましょう、
作中の「大叔父」は空から降ってきた塔に魅了され、その塔を建物で補強し、やがてはその塔の中に姿を消してしまいます。しかし「大叔父」は塔の中の世界で生きていました。
そして「大叔父」は空から降ってきた塔の中の世界の主であり、その中では動物が人のように動き、独特の世界観が展開されており、「積み木」を積み、バランスを整えることでその世界の均衡を保っています。しかしながら本人曰く、もう「積み木」を積むことができず、均衡を保つのも限界なので同じ血を引く後継者を待ち望んでいるというものです。
これを先ほどの仮設の「大叔父」=「宮崎駿監督の投影」に置き換えてみると何やら面白い構図が見えてきます。
「大叔父」=「宮崎駿監督」、「空から降ってきた塔」=「創作の世界」と仮定した場合、今回の話が飲み込みやすくなるかもしれません。(個人的な仮説なので悪しからず。)
つまり「大叔父」(宮崎駿監督)が「空から降ってきた塔」(創作の世界)と出会い、その魅力に取りつかれ、建物(スタジオジブリ)をこしらえてその世界の主となります。塔の中の世界には何処か今までの作品のオマージュと言える要素が断片的に描写されており、それはあの塔の世界が「宮崎駿の創作の世界=つまりスタジオジブリの作品群」であり、建物と言うフィルターを通して我々が触れたからに他ならないのではないかと感じました。
そしてその塔の世界の均衡を表すキーアイテムとして「積み木」が登場しており、「積み木」を積み、その均衡を保つことで塔の世界を維持していました。
「建物の中にある塔の世界」を「ジブリの中で作られた創作の世界」と解釈すると、その均衡を保つあの1つ1つの「積み木」は「宮崎駿監督」が文字通り今まで積み上げてきた映画の作品(作中の積み木の個数までは覚えていないので検証できないのですが)そのものであるとすると、大叔父(宮崎駿監督)は今まで建物の中(ジブリという枠の中)で塔の世界(自身の創作の世界、作品群)を展開してきたけど、遂には年齢的なこともあり、次の積み木(つまりは次の作品)を積み上げる事が困難な状況になっていることを指します。
事実、宮崎駿監督はこれまで何度も「もう辞める」とアニメを作ることに対して引退宣言をされている監督としても有名です。過去には「物理的な加齢によって発生する問題はどうしようもない」、「僕の長編アニメーションの時代は終わった」という趣旨の発言も記者会見(インタビューだったかもしれません)でされています。
つまりこの構図は「物理的な加齢」によって「積み木」を積めなくなった「大叔父」の状況に重なります。また「積み木を維持するのも困難」という描写も「物理的な加齢によって世界観を守り通すことにも限界を感じている」という監督なりの潜在的なSOSなのではないかと感じました。
だからこそ、その世界(ジブリの世界)の均衡を保つ同じ血族(同じ創作の世界を好むもの)の人間で後を継ぐ者が現れるのをずっと待っているのではないか?ということですね。
そう考えると「塔の世界」と「現実」が建物と言うフィルターを通してつながっていることにも合点がいくと思います。つまりは「宮崎駿監督の創造の世界」と「この現実の世界」をスタジオジブリの映画という建物(フィルター)を通して出入りする主人公=我々という構図を表しているのではないかという事ですね。
つまり「君たちはどう生きるのか」という問いかけの前に、「わしはスクリーンで観ていただいた通り、こうやってスタジオジブリの中で精いっぱい創造の世界を積み上げて生きてきた!映画を見ている君たちは映画を通してこの世界に触れそして現実に戻った時、どう生きるのかね?」という監督の強烈な問いかけ(+後継者が現れて欲しいという願望)が込められているのではないか?という風に感じました。
また主人公の眞人が「建物」を通して「塔の世界」を出入りする描写は、「眞人=映画を観ている私たち」と考えると、「ジブリ」作品をスクリーンを通して「創作の世界」を出入りする「私たち」、そして最終的に現実世界に戻らなくてはいけない。現実に戻った君たちはこの作品を見て感じ、どう生きていきたいですか?と問いかけられているものとも考えられますね。これが今回のスタジオジブリ最新作「君たちはどう生きるか」の映画を観て受け取ったメッセージを自分なりに解釈した考察です。
皆さんはどうお考えになりますでしょうか?
スタジオジブリの作品は直接的な描写をあえて描かなかったり、想像の余地を残したりするので考察の余地があり面白いですね。皆様の解釈や考察も気になるところです。
まとめ
今回のジブリ最新作「君たちはどう生きるか」の感想をまとめると以下の通りです。
・全体として一言で言うとジブリ版「不思議の国のアリス」だった。
・ただし「大叔父=宮崎駿監督」と仮定し「大叔父」視点でストーリーをなぞると「塔=創作の世界でありジブリの作品群」、「現世と塔の世界をつなぐ建物=ジブリ」、「積み木=ジブリで積み上げた作品群」、「時間がない、均衡を保つのが限界=迫る死の概念」、「後継者を探している=創作の世界を継ぐ者を求めている」と解釈することができ、私(宮崎駿監督)はこの世界でこうやって生きてきた。だから映画を観終わった君たちは現実世界に戻った時どう考え、どのように生きるのか?というメッセージを感じた。
・結論、ジブリ作品好きならスクリーンで観て後悔はなし。ジブリの魅力のエレクトリカルパレードのような作品!(小さい子供はちょっと怖がるかも)
と言った感想です。
さて映画を踏まえて自分がこの世界で「どう生きるか?」についてを考えてみると、軸に変化はなく、「将来のために蓄財に励みつつ、今も楽しみながら資産形成を継続していきたい」と答えます。
今は仕事の合間であったり隙間の時間にしか「自分のやりたいこと」ができないのですが、いつか努力が実を結び「配当>生活費」となった時には、お金のことは気にせず全力でやりたいことに取り組み家族や友人と過ごす時間に時間を割いて楽しんで生きていきたいですね。
以上、今回はいつもと異なる毛色の記事、【仮説】ジブリ最新作「君たちはどう生きるか」で感じたことと言う内容でした。
今回は個人的に好きなジブリ作品の最新作の感想を、思いつくまま雑多にまとめた内容なので、特段の根拠もないあくまで個人的に感じたことを踏まえた考察の記事になるのですが、映画を観た皆様にとっても何かしら共感できる部分や刺さる部分、自分はこう思ったという作品を振り返るきっかけとなれば嬉しいです((“Q(・ω・*)♪
最後に「ジブリ」と言う素晴らしいエンターテイメントをこの世界に創作された宮崎駿監督には改めて深い敬意と感謝の意を示したいと思います。素敵な作品をありがとうございました!